夫です。
先日のこと。
30分ほど時間を持て余し、読書でもしようと目の前にあったマクドナルドに入りました。
学生達も学校の時間。
店内はガヤガヤした雰囲気はありません。
読書に集中できそうな貴重な30分。心が躍りました。気持ちがハイになったためか、ちょっと上ずった声でホットコーヒーを注文。
席に着き、深い深呼吸。
幸せなひと時を感じつつ、目の前のホットコーヒーに目をやります。
ん!?
何かひっかかる、違和感。
ぞわっとした胸騒ぎを感じます。
違和感の正体を探すべく、今一度、ホットコーヒーに目をやります。
こ、これだ。
圧倒的、違和感。
心落ち着けた深い深呼吸が、一瞬で無駄になります。
呼吸が早くなります。
なんなんだ、この人の顔は!?
いや、キン肉マンに出てきそうな顔は!?
おでこの「M」、目の位置にある三角、鼻の窪みと口。
この「M字キン肉マン」、本家の漫画の王位争奪戦の話で、出てきてた気すらします。
飲み口を開けると。。。
えっ!「M字キン肉マン」が笑った!!
こちらも自然に笑みがこぼれます。
ついつい繰り返す。
口を尖らすキン肉マンキャラ。よく見ると何かに不服そう。
蓋を開けると笑う!すごく楽しそう。
5、6回開けたり、閉めたりを繰り返しました。
もう、読書どころじゃありません。
気になることがたくさんあります。
このフタ、完全に「人の顔」ですよね?
そのフタには、上記写真の通り、飲み口だったり、注意書きだったり、マクドナルドのロゴだったり、必要なものが無駄なく配置されているのだと思います。
ただ、眺めれば眺めるほど疑問が湧きます。
●このデザインを決定した人はどのような心境でGoしたのか?
●この蓋のデザインにはどくらい狙いや意図があったんだろうか?
●キン肉マンのことは知っている人なんだろうか?
●超大手の部類に入るマクドナルドが面白半分で決めないよね?
●必要情報や必要機能をフタに盛り込み、その最適な配置がたまたま人の顔になったのか?
ーーー
普段意識しませんが、私たちが目にする商品やサービスのほとんどは、狙いや目的や意図が蓄積され、世に出ています。
上記のフタを例に取ると、
◎他社のフタはどうなっていて、マクドナルドとしてどうするのか?
◎フタに持たせる機能性は?
◎フタに明記する必要な情報は?
◎これら機能と情報を満たす最適なデザインは?
といったことは一通り議論され尽くされていると思うのです。
そして、意思決定者によっての決断があり、世に出ているのだと思います。
自分の違和感を言語化すると、まさにここ。
このフタの意図や目的が理解できない点にあります。
例えば、自分がこのフタのデザインの最終決断者だった場合。
「こんなデザインにしたんですがどうですか?」とこの案が私の目の前にきたら。
「そう、そう、これこれ。すっごくしっくりくる。うまく表現したね」には絶対ならない。
「これ、明らかに人の顔だよね?キン肉マンに似てない?何か意図があるの?」と、間違いなく聞きます。
何なれば、
「キン肉マンに寄せるなら、バッファローマンにバラバラにされたミートくんを表現できないかな?個人的に言うと、ロビンマスクとアトランティスの試合がすっごく好きなんだよね?君は?」なんて、話になりそう。
何はともあれ、マクドナルドのフタは、機能性の追求の結果なのか?面白なのか?その背景にすごく興味があります。
いや、世の中に出ているものに全て意図や目的があると思っていること自体が思い込みなのかもしれませんね。
ちなみに、キン肉マンを全巻はこちら。先日、キン消しのガチャガチャを見つけ、そのガチャガチャをやるかどうかで5分くらい悩みました。5歳の息子が横にいる手前、やめました。
単行本で一度完結した36巻以降の続編も。今は59巻まで出ているらしい。面白いと評判だし、まとめて買っちゃうのも時間の問題な気がする。。。買ったら、マクドナルドで読もうと思う。