おやこステップ

【子供】【旅】【生活】【日常】を思うままつづる夫婦ブログ

子供に対して親がコントロールすべきこと

夫(みどりいろ)です。

先日、妻がこんな記事をアップしました。

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うちの妻は、教え上手です。夏休みの宿題を、息子の目線にたって、同じペースで伴走しながら、一緒に夏休みの宿題を進めていってました。息子も楽しみながら妻と宿題に取り組んでました。妻もこの記事を見ると思うので、もう一度言いますが、妻は教え上手なのです。

 

一方、自分は、息子に勉強や宿題を教えたりするのが下手です。絶望的に下手です。余談ですが、会社員時代、部下のマネジメント&教育も、壊滅的で、マネージャーとしてはかなりのローパフォーマーだったと思います。

 

息子の夏休みの絵日記の宿題をサポートするときもそう。息子が「どうやって書いていいかわからない。」と相談に来た時、「書きたいこと書けばいい」と、何も助言していないに等しいアドバイスを送りつけ、1分後に息子がやる気をなくしてる。そんな場面が30回くらいあった気がします。

 

宿題だけではありません。息子がアイロンビーズでキン肉マンの超人を作るのにハマっています。

超人を作るにあたり、どうやって作ったらいいのか、僕に質問してくる場面が何度かありました。その際も、「まずやってみて、失敗すれば、やり方わかるよ」といった助言したものの、5分後も息子の手はとまったまま。そして、テレビへと興味が映っていきました。

 

ちょっと考えてみた

正直、間違っていることを言っているとは思いません。絵日記には書きたいこと書けばいいと思うし、失敗から学んだほうが、得るもの大きいと今でも思ってます。ただ、僕の言葉かけで、息子の興味関心の火を消しているのも事実。

正解なんてないとは思うものの、もっと他の声がけがあったのかも。自分の言葉かけの何がいけないんだろう?など考えてみました。 あれこれ考えた結果、「僕の期待」が原因かも、と思ったのです。「思い込み」と言い換えることができるかもしれません。

 

なぜ「期待」がダメなのか?

期待というとポジティブな言葉ですが、結構やっかいなもの。コントロールのしかた次第で、凶器にもなりそう。今回の例でいうと、僕は息子に対してこんな期待(思い込み)をしていたことになります。

「絵なんて自由な発想で書けるでしょ」、「失敗を何回かしたらすぐに作れるようになるでしょ」など。

 そんな期待(思い込み)は、息子に対して「あるべき姿」を作り出します。しかしその姿は、自分が勝手に作ったもの。そこから生まれる現実は、「ギャップ」です。 

僕がイメージする息子のあるべき姿と、現状のギャップ。そしてギャップは違和感となり、息子に対する態度や叱咤激励の「言葉」に影響してきます。

 「がんばればもっとできるでしょ、信じてるよ。」「自分で考えれるでしょ。集中してやってみれば。」こんな声がけ。

一見悪くない言葉に感じますが、よく考えると、この言葉は、僕の独りよがり視点からの言葉でしかありません。息子の「あるべき姿」は僕の「勝手な期待、思い込み」が生んだものです。

 

 期待をコントロールして、とことん観察

いきついた結論、それは「期待のコントロール」と「とことん観察すること」

息子(他人)を変えることはできないので、変わるのは自分(の期待&思い込み)。極論、「期待しない」くらいがちょうどいいのかも、と思ってます。もちろん、ここで言う「期待しない」=「無関心」とは違います。

むしろ、興味関心を持ってとことん【観察】してみようかと。僕の中で勝手に作り上げた期待(思い込み)と比較するのではなく、同級生の友達との比較するのではなく、「過去の息子と比較」するための【観察】です。

あくまで「過去の息子」と比較をし、何かしら良くなったことがあれば、承認してあげる。「観察」と一緒に「記憶」も大切になりそうですね。

その結果、息子への期待と現実のギャップからくる指示や小言は減り、「息子の変化の観察量と示唆」が増えていくのが理想です。

ついつい脊髄反射的に反応しがちな、息子の結果や言動。お風呂に入らなくても、テストが0点だとしても、全く着替えようとしなくても、集中してご飯を食べなくても、「そういうもんでしょ」くらいな余裕が欲しいものです。そして中長期の「観察」を通して、できるようになった行動を承認する。そんな言葉かけができると、いいのかな、と思っています。

親があれこれ言わなくても、子供は勝手に成長しますしね。たぶん。。。

頭で理解しても、実行となると超絶難しいな、早くも実感しているのですが。。。