おやこステップ

【子供】【旅】【生活】【日常】を思うままつづる夫婦ブログ

たくさんの「無駄」から、6歳の息子は色々学んでたよ、という話

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夫です。

道の駅きつれがわに行った時のこと。

6歳の息子は、くるぶしくらいの浅さの川で遊び出しました。

シャワーを頭からかけられるのが苦手なくせに、水遊びは大好きな息子。もう、水を得た魚のようにはしゃぎだしました。2分で服はびしょびしょ。

自分は、着替えを持ってきていなかったので、すぐ近くの土手に腰掛けてました。

息子はただただ、水を蹴り続けてました。
時間にして30分ほど。何回も何回も。

何か入り込んでいる様子で、「まだまだぁ!」「くらえ!」とか言っています。
とはいえ、30分ですよ、30分!

僕は「飽きるまでやればいい」と思い、その様子をぼーっと見ていました。

とはいえ、「なんで、何百回も同じことしてて、飽きないんだろ?」と思うわけです。

同じ繰り返しでも、その「1回」が違う体験

息子の水を蹴り上げる様子をじっくり見てみました。
すると、面白いことに気づきました。

どうやら、息子は
「蹴り上げる水しぶきをどれだけ遠く飛べたかで、必殺キックの強さが決まる」
といった世界に入り込んでいる様子。

・水の深いところから真上に蹴り上げたり、
・浅いところから、横に蹴り上げたり、
・腰のひねりを入れたり、
・ジャンプしながら蹴り上げたり、
・バランスを崩して、尻もちをついたり。

川の流れの強さ、水を蹴り上げる感触、しぶきの上がり方、身体の使い方、など、「さっきよりも強く、面白い一撃」を求め、次から次へと試行錯誤していました。

何百回蹴っても、息子にとっては、その一回がまったく違う体験なんだと思いました。

たくさんの無駄の中に学びがある

この水蹴りだけじゃありません。

ソファから机を飛び越えるジャンプを何回もしたり、
日が暮れるまで公園のターザンロープを繰り返したり、
「よく飽きないなぁ」という場面が、過去にもたくさんありました。

そんな場面に出くわすと、
「もう、流石にいいでしょ。同じでしょ。」とか
「それ、危ないでしょ?なんでわかんないのかな?」
と首をかしげてました。

とにかく「無駄」に思えてました。

もっと「効率的なこと」「有意義なこと」があるでしょ、と考えていました。

でも、今回の水蹴りに夢中になっている息子の姿を見ると、そんな息子の「無駄」は、実は「無駄じゃない」と思うのです。

「無駄」と思っているのは、あくまでも「大人になった僕」から見えている景色。

子供より長く生きている分、いろんな経験も失敗もしています。

その経験や失敗から、「これをやったら、こんな結果になる」といった因果関係も実体験として学んでいます。少なくとも息子よりも早く、何事にも「こんな感じでしょ」といった感覚をつかむことができます。

でも、「こんな感じでしょ」が分かるのって、子供の時から無数の実体験や経験を積んだからこそです。

 

そう考えると、息子の、一見「無駄」の繰り返しも、「こんな感じ」を掴むための、データ収集段階、学びの真っ最中かもしれません。

夢中になって遊んでいるその瞬間こそ、経験を経験値に昇華させている貴重な瞬間なのかもと思うのです。

そう思うと、親の一方的な価値観で「無駄」と、シャットアウトしてしまうことって、
子供の貴重な学びの機会を奪ってしまうことにもつながりかねません。

子供が熱中している場面に出くわしたら、ゆったり構えられる時間も、心も、ゆとりが必要ですね。

とは言いつつ・・・

川の水を蹴り上げてる遊びに熱中していた息子に対して。

30分ほど、「会心の一撃」を試行錯誤していて、まだまだ続く様子。

頭では、上で書いたようなことを思いつつも、さすがにもういいでしょ。。。30分も、自分としては結構頑張って待ったよ。と、自分で自分を褒めます。

その日は気温もさほど上がりませんでした。

服も濡れ、息子の唇が少し紫になってきたのをみて、「この絶好のやめさせる大義名分を活かさねば」と。

「もういいでしょ、唇が紫だし。終わりー!」と、強制終了と相成りました。息子の「無駄」と思える「学び」をシャットアウト。

難しいですね。これからも試される場面は続きそうです。。。

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