夫です。
子供への基本姿勢
基本、毎日がヘラヘラしてるだけなので、正直子育てとか、教育とかよくわからないが、これだけは大切なのではないかと感じていることがあります。
それは子供は「育てる」という意識を持たなくても、勝手に「育つ」ということ。
「育てる」と「育つ」の違い
「育てる」の主語が親。その「育てる」という前提だと、親の枠組みや既成概念の中でしか子供は成長しません。ましてや自分の枠組みや既成概念のちっぽけさを考えると子供の可能性を打ち消してしまいそうです。
一方、「育つ」の主語は子供。人間は意識的にも無意識的にも成長を望むもの。子供が自らの無限の可能性をどんどん広げて勝手に成長してくれるのではないかと考えています。
仕事柄、人様の信じられないような成長を幾度となく目の当たりにしてきた身から言うと、きっかけと、それに踏み出すちょっとした勇気さえあれば、人は勝手に成長します。しかも若ければ若いひとほど。
子供の成長を支える親の役割
息子も教えてもいないのに、肉体的にも精神的にもぐんぐん成長している。親としてはそんな子供の成長を身近で見らえるのはこの上ない幸せです。
もちろん、小さな子供なので、失敗やうまくいかないこともたくさんあります。ただ、そんな試行錯誤している様子を見ていると、「目の前のことができるようになりたい!」という意思を感じます。
最近はその意思を信じて見守ることが親の役割だと感じています。
「子供を信じる」
全てはこの言葉に集約されます。
よく子育ては「待つ」ことが大事と言われますが、同義だな、と。
とにかく、そんなことを考えるきっかけになった記事を下記に紹介します。
(引用)努力の上に辛抱という棒を立てろ 桂小金治(タレント)
この頃(10歳頃)、僕にとって忘れられない出来事があります。
ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。
すると親父は、「いい音ならこれで出せ」と神棚の榊(さかき)の葉を1枚取って、それで「ふるさと」を吹いたんです。あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。もちろん、親父は吹き方など教えてはくれません。
「俺にできておまえにできないわけがない」
そう言われて学校の行き帰り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。だけど、どんなに頑張ってみても一向に音は出ない。諦めて数日でやめてしまいました。
これを知った親父がある日、
「おまえ悔しくないのか。俺は吹けるがおまえは吹けない。おまえは俺に負けたんだぞ」
と僕を一喝しました。続けて
「一念発起は誰でもする。実行、努力までならみんなする。そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。一歩抜きん出るには努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。この棒に花が咲くんだ」
と。その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。
そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。
草笛が吹けるようになった日、さっそく親父の前で披露しました。
得意満面の僕を見て親父は言いました。
「偉そうな顔するなよ。何か一つのことができるようになった時、自分一人の手柄と思うな。世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。錐(きり)だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」
努力することに加えて、人様への感謝の気持ちが生きていく上で
どれだけ大切かということを、この時、親父に気づかせてもらったんです。
翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。
開けて見たらハーモニカでした。
喜び勇んで親父のところに駆けつけると、
「努力の上の辛抱を立てたんだろう。花が咲くのは当たりめえだよ」
子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。あまりに嬉しいものだかち、お袋にも話したんです。するとお袋は
「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。お父ちゃんが言っていた。あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」
僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。いまでもこの時の心の震えるような感動は、色あせることなく心に鮮明に焼きついています。
広く長い視野で子供と向き合うこと
広く長い視野で子供と本気で向き合い、かつ、子供を心底信じる桂小金治さんの父親からは、言葉以上の大きな愛情が感じられます。
人間として、父親としての器の大きさを感じるこのエピソード。
自分はいつになったら、このエピソードのような対話が息子とできるでしょうか。この記事は何度も何度も読み直そうと思います。
この記事の他にも秀逸な逸話がたくさん掲載&1時間程度で読み切れるおすすめの本です。